表現の不自由展の不思議

表現の自由の侵害であると、大村知事が泡を飛ばしているが、裁判で争うとのことだが、その支払いは誰? まさか税金?

 

慰安婦像は芸術でもなければ表現の自由を標ぼうできるものでもない。

天皇陛下を侮辱するものも表現の自由ではない。

 

憲法にある表現の自由とは公共の福祉に反しない限りとの条件付きだったはず。一日本人として天皇陛下を侮辱するものを見るのは非常に傷つく。昭和天皇がどれだけ日本人のために尽くされたか、ひしひしとわかるだけに、とても辛い。

慰安婦の問題だって、歴史に埋もれたもっとつらかった日本女子がどれだけいたか。慰安婦たちはむしろ寵愛を受け好待遇で生き残れた人々ではないか。

戦争の被害者は日本人だって同じだ。人が狂うのが戦争だ。日本人は原爆を落とした米国に対してもいつまでも恨み言は言わない。人々の欲から産み出された狂気のエネルギーが、もはや止めることのできない時代の流れを作り上げたのだ。

 

今回の不自由展は何が主目的だったのか。慰安婦像でマスコミを巻き込みセンセーションを起こしたかったのか。

結局、よく精査することもなく助成金を軽々しく出す中央省庁。社会保障のために消費税を上げなければと、民衆を欺瞞し、挙句はその使い道を変えましたとのたまう総理大臣。スターウォーズへの関与が透けて見えたり、あちこちへのバラマキ、膨大な広告宣伝費には開いた口が塞がらない。

 

ま、大村知事の神経は如何なものか。同調するマスコミの論調も如何なものか。

慰安婦像は芸術ではない、政治目的だ。