大いなる浄化

アメリカではトランプが大統領になってから株が上がり続け、さあどこで下がるか、と関係者は待ちの状態に入っていた。

 

日本も問題が山積するのみならず、景気が良い実感のまったくないまま、数字は好景気を示し、国家はそちらの情報を流し続けた。株価もほぼ上げの一途ではあったが、その実、市場には上場会社がノミのようにあふれ、それぞれの株価は4桁、5桁となり、数字の操作が横行した。目くらましにかみつく野党は皆無であった。目先のパフォーマンスに酔いしれ、気が付きさえしないのだろう。

 

国会議員が国民の代表として全く機能していない。

 

そして、コロナ問題を契機に世界に横たわるすべての問題が白日の下である。

 

コロナの発生源である中国の民族性。行き過ぎたグローバリズム。日本では補償、助成の合唱連呼、過保護主義が当たり前になってしまった、総タカリヤ社会。働かずして給料が支払われることが当たり前、タダで物を配ることが善意とされるきれいごと社会。経済が縮小するならば経費も縮小するはず、国民全員が経済レベルを3割削減すればいい、労働を縮小したなら収入も縮小すべしである、全員一斉に、である。地球を持続可能性で考えるならば、・・・ここが転換期ではないのか。

表現の不自由展の不思議

表現の自由の侵害であると、大村知事が泡を飛ばしているが、裁判で争うとのことだが、その支払いは誰? まさか税金?

 

慰安婦像は芸術でもなければ表現の自由を標ぼうできるものでもない。

天皇陛下を侮辱するものも表現の自由ではない。

 

憲法にある表現の自由とは公共の福祉に反しない限りとの条件付きだったはず。一日本人として天皇陛下を侮辱するものを見るのは非常に傷つく。昭和天皇がどれだけ日本人のために尽くされたか、ひしひしとわかるだけに、とても辛い。

慰安婦の問題だって、歴史に埋もれたもっとつらかった日本女子がどれだけいたか。慰安婦たちはむしろ寵愛を受け好待遇で生き残れた人々ではないか。

戦争の被害者は日本人だって同じだ。人が狂うのが戦争だ。日本人は原爆を落とした米国に対してもいつまでも恨み言は言わない。人々の欲から産み出された狂気のエネルギーが、もはや止めることのできない時代の流れを作り上げたのだ。

 

今回の不自由展は何が主目的だったのか。慰安婦像でマスコミを巻き込みセンセーションを起こしたかったのか。

結局、よく精査することもなく助成金を軽々しく出す中央省庁。社会保障のために消費税を上げなければと、民衆を欺瞞し、挙句はその使い道を変えましたとのたまう総理大臣。スターウォーズへの関与が透けて見えたり、あちこちへのバラマキ、膨大な広告宣伝費には開いた口が塞がらない。

 

ま、大村知事の神経は如何なものか。同調するマスコミの論調も如何なものか。

慰安婦像は芸術ではない、政治目的だ。

千葉の停電災害

再び東電の失態とも見える災害に見舞われている日本。

 

しかし、この停電の実態は台風による倒木被害が大きな要因と考えられる。

ということは、災害後の道路状況を把握しそのメンテナンスの責を負うのは道路管理者である国や県などでは?

例えば、千葉では市長や県知事が東電を責めるコメントを出しているが、本来であれば役所が声明を出す、政府が対策に当たるなどが必要なのではないか。

 

内閣人事で浮かれている政治家たちこそが大問題。

 

そして、台風の大きさにもまして倒木の問題は、昔々に誤った森林政策や道路行政に国が走ったことであり、そこまで思い至る人は、・・・多くはなかろう。

進次郎君ブランドバッグ派だったか。

台風の影響で千葉の人々が苦しんでいる中、国会の人々は内閣改造でウキウキモード。

 

庶民人気の高い小泉進次郎君の結婚、入閣騒ぎで盛り上がっているのは何というか、違和感・・・。野党は音なしの構えダシ。

テレビでは増税に伴う軽減税率ではしゃぎまくり、クイズで盛り上げ。

 

ここまで政治と庶民の生活が遊離してしまって、まったく、戦争時の日本軍人のはしゃぎブリ、乖離ブリを彷彿とさせる。

みんな気が付いているのかしら?